Wednesday, September 16, 2009

香港の閩南語と、広州語の強さ。





「台湾語」ができる方、香港やマカオで「台湾語」(正しくは台湾閩南語または台湾ホーロー語)で現地人の悪口を言わないほうがいいですよ。「広東語」(正しくは広州語)や英語ばかり話しているからと言っても、閩南語がわかる閩南人は香港にもいっぱいいるのです。僕なんか、香港人の親友が福建系なので、香港にいるときのほうが、台北にいるときよりよっぽどよく閩南語を使いますよ!
言語の面から言うと、いろんな調査がありますが、だいたい現在香港では9割強の人が広東語を話し、それにプラスして7割程度の人が英語も、4割強の人が「北京語」(返還後、香港では「普通話」と呼んでいる)も話すことになっています。ところが中国系香港住民の出身地方言別に見ると、広東語系はだいたい半分ぐらいで、残りの半分は客家系、潮州系、福建系、上海系などということになっています。この福建系というのは、ほとんどアモイ、泉州、漳州なんかから移住した閩南語を話す人たちで、インドネシアから香港に移住した華僑なんかも含みます。アモイ語は「台湾語」とほぼまったく同じです。泉州語、漳州語は、「台湾語」と訛りが違うけど、完全に通じ合えます。マカオの場合は、香港にもまして福建人が多いです。
現在、だいたい香港人の半数ぐらいは香港生まれで、残りの半分は中国大陸生まれです。年配者の多くは大陸で生まれ、後に香港に移住したわけです。アモイ周辺で生まれた中年以上の香港人は、普段の生活では香港の共通語である広州語を使っていても、家庭では福建語を使うこともあるし、またたとえあまり話さなくても聞いてわかります。若い世代は完全に広州語にシフトしていますが、自分の親が家庭で話しているのを聞いているので、少なくとも多少は聞いてわかります。(インドネシア福建華僑系の場合は、このほかに「北京語」も家庭で使っている。)
さて、香港、マカオで驚くのは、この広州語へのシフトの早さと力強さ!台北市における「北京語」(正しくは台湾華語、習慣上「国語」と言っている)の強さなんか目じゃない!(国民党があれだけ目くじら立てて「方言」を消滅させようとしたのに・・・)40歳以下の香港人は、出身地が香港か否か、家庭内使用語がどの「方言」かに関係なく、もう広州語一色だ!どうしてだろう?
台湾やシンガポールと違って、政治的介入がなかったのにもかかわらず、広州語があれだけ普及したのには、やはりいくつか強い原因があるはずだ。可能なものを考えてみよう。
1. 香港は共通語を強く必要としていた:福建人、広東人など、違ったグループが長年かけて拠点を築いたシンガポールなどと違って、香港は「一夜にして」膨大な数の「難民」が中国各地から流入して、市内に混在した。そこで共通語が「すぐに」必要になる。
2. 広州語は共通語になる必要条件をすでに持っていた:広州は古くから交易で栄えたので、広州語は、広東省周辺に住む、異なった方言グループどうしの共通語にすでになっていたし、変調などが少なく、習得が比較的簡単だった。
3. それに関係して、広州語は「都会派」、「金持ち商人の言語」というステータスをもっていたのに対し、それ以外の「方言」は「田舎ものの言葉」として馬鹿にされていた。
4. 香港人は大陸とは異なるアイデンティティを主張したかった:中国大陸の政治的混乱を逃れてやってきた香港住民は、もともと北京に象徴される中共政権に心理的に同化し難かった。天安門事件などで、大陸とは異なる香港のアイデンティティは決定的なものとなった。返還後の今も香港人が自分が「完全に」中国人であるとは考えていないということを示すいろいろなアンケート結果がある。広州語を使うことによって、「普通話」によって象徴される北京のものとは異なる香港の自己のアイデンティティを主張することができる。
香港以外の華人世界を考えてみても、広州語の圧倒的な強さは明らかである。たとえば北米のチャイナタウンやマレーシアのクアラルンプールでも、出身地に関係なく広州語が共通語になっている。マレーシア華人は、母国にいるときは華語や閩南語で話していても、台湾に移住すると、わざわざ広州語で話して、回りの台湾人たちとは違う自己のアイデンティティを主張することがある。中国大陸では、今でこそいろいろな「方言」のテレビ番組が作られるようになったが、昔は「普通話」以外でテレビで使用が許されているのは広州語だけだった!台湾では、外省人一世も「国語」一色で、どんな訛りがひどくても絶対に出身地の「方言」を使わず「国語」で押し通そうとする人がほとんどなので、2代目になったらもう「国語」しか話せなくなるのが普通なのに、広東人だけは(!)台湾生まれの3代目になっても家では広州語で押し通している例にさえ出くわしたことがある(「台湾語」ができない若い世代の台湾人はいっぱいいるのに)。
やはり「国語・普通話」が、国民党であれ、共産党であれ、官製のナショナリズムの色彩がぬぐえない人工言語であるのに対し、広州語はそれに対抗する庶民の中華ナショナリズムを象徴する言語であると言ったら言いすぎだろうか?