Sunday, June 13, 2010

バイリンガルの海。


マニラのショッピングモールは人の海です。
メトロマニラの人口だけで、台湾全島の人口と同じぐらいという説があります。(地方からの流動人口が多いからです。)
その中にたたずんでいると、英語とタガログ語という2言語がごちゃ混ぜになって聞こえてくるのがわかるでしょう。
実際、400以上の言語が話されているフィリピンの、各地方出身者が多く集まるマニラで、共通語的な役割を果たしているのは、英語とタガログ語がごちゃ混ぜになった、「タグリッシュ」という言語です。
すべてにおいて民主的なフィリピンでは、東南アジアのどこかの国と違って、このごちゃ混ぜ言語は政府のお偉いさん方ににらまれるどころか、政治家でさえテレビの演説にも使うし、ATMでキャッシュをおろそうとすると、「英語にしますか、タグリッシュにしますか?」と画面で聞かれるほど市民権を得ているのです。
学校の教育や新聞、公文書などは全部英語ですから、ちゃんとした英語を使おうと思えば使えないことはないですけど、なんかお固くとまっている感じに思われます。タグリッシュなら、英語なのに親しみもわいて、一石二鳥というわけです。
フィリピンで人口は少数なのに絶大な影響力を持つ富裕層は、思考回路まで英語になっていて、タガログ語、特に読み書きは不自由を感じるほどです。一方、人口の大多数を占める貧困層は、一応用は足せるぐらいの英語はできても、自信がないため、タグリッシュやタガログ語を多用することが多く、外国人が英語で話しかければ緊張で硬直してしまうこともしばしばですが、逆に少しでもこちらがタガログ語で話せば、急に手のひらを返したようにフレンドリーな態度になるでしょう。(たとえば、今朝、ジョリビーで朝食を食べたときのことです。私:「Don’t I have a free newspaper?
店員、無愛想な顔で:「Free newspaper is for orders exceeding 100 pesos, sir.
そこで私が、外国人とわかるように、わざと下手なタガログ語で:「Di ba, meron libreng dyaryo?
そうしたら、店員はあふれるような笑顔で、69ペソ分しかオーダーしていない私にすぐ無料の新聞をサービスしてくれました。読み書きのほうはまだ英語が主流なので、配っている新聞はもちろん英語のみです。)
じゃあ、なぜいっそのこと英語はやめて全部タガログ語にしないのか。それは、無理だからです。
タガログ語は、フィリピンに何百とある土着の言語のうちのひとつで、マレーシアのバハサ・マレーシアやインドネシアのバハサ・インドネシアなんかと違って、公用語として整備されたわけじゃないですから、いろんな単語が存在しないんです。
哲学講義から下ネタまで、すべて日本語で済んでしまう日本人には想像しにくいかもしれませんが、「おばあちゃんが今朝へをこいた」とかいう卑近な話題は土着な言語で表現できても、電気工学の話題は、必要な単語が存在しないのでその言語ではできない、というのは世界では当たり前のことです。
さて、フィリピンの公用語は英語で、国語はフィリピノ語ということになっていますが、このフィリピノ語というのは何なのか?
憲法によれば、「フィリピンの人々の知恵によって、やがて自然に出現するであろう、フィリピン各地の言語の総合の言語」のようなものらしいです。
現在はそんなものはないので、一応首都の土着言語として一番普及しているタガログ語にものすごく似たものになってます。というか、ほとんど同じです。まあ、テレビ局とかが全部マニラにあるので、将来そういう言語が出現するとしたら、タグリッシュ・ベースのものになる可能性が高いでしょう。実際、海外に出た、きちんと英語教育を受けなかった、出身地が違うフィリピン人同士がはなさなきゃならないときは片言のタガログ語を使うみたいです。
ただ、タガログ語以外の土着言語が母語の人(たとえばビサヤ語圏)からは反感があって、そういう人たちはやっぱり英語のほうがいいみたいです。実際、勉強しようとしたら、英語のほうがタガログ語よりは簡単です。どっちにしろ、フィリピン人は学校に行ったら英語は勉強させられるんだし。
そんなところにも、民主的なフィリピンの性格が現れてますね。ほかの東南アジアの国、たとえばインドネシア、マレーシア、シンガポールなんかでは、国が国語・公用語を制定して、存在しなかった学術用語なんかも全部新しく作って、それを中央集権的な政府の力で強制的に全国に普及させようとしたわけなんです。(タイやインドネシアみたいに徹底してやるならまだましだけど、マレーシアやシンガポールなんかひどいですね。「やっぱや~めた!」つって政府が言語政策をポンポン変えちゃうんだから。それで、いろんな語ができるけど、全部中途半端にしかできない人がほとんどです。)
そんなやり方はフィリピンじゃ無理でしょうね。違う学者がみんな別の専門用語を発明しちゃって、誰も譲らないでしょう。実際フィリピノ語のときはそうなったらしいです。結局やっぱり英語にしよう、ってことで落ち着いたわけです。
そして、タガログ語でしゃべってて、もしタガログ語の単語が存在しない話になったら、別に英語使っちゃえばいいじゃないか、と。
フィリピンのそういうところ、大好きです。フィリピンの社会言語学が東南アジアのほかの国より20年は進んでいる原因も、その辺にあるかもしれません。

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