Saturday, May 29, 2010

中華と中国語好き子供。



子供の頃から、中華文化が好きでした。幼稚園ぐらいの頃から、好物はラーメン、餃子とチャーハンで、地球儀で中国を見ては「いつかここに行くぞ」と漠然と思っていました。上野動物園のカンカンとランランが人気だった頃です。
小学校低学年の頃、習っていたタップダンスの先生が、中国に招聘された漫画家か書いた本をくれました。これに夢中になり、中国はパンダがいるとか、漢字を使うとか、万里の長城があるとか、手品や体操が有名だとか知るようになりました。
身の回りの中国人といえば、あまり意識しなかったですが、ホームラン王の王貞治選手はすごいと思いました。(前に記事を書きましたが、後に台湾でゆっくりお話を伺えて嬉しかったです。)
また、近所には「中国物産店」という、華僑のおじさん(弟と一緒に、勝手に「ちんさん」という名前をつけていました)がやっている妖しい匂いのするお店があって、中国や台湾、東南アジアなどの製品を取り扱っていました。弟と二人でこの店に入り浸って、お小遣いで中国製のノートや鉛筆を買って学校で使ったり、中華圏を代表する台湾の歌手テレサ・テンのテープを買って聞いたりしました。(このお店のおかげで、僕の華僑に対するステレオタイプはニヤニヤしたおじさん、というイメージです。)
小学生のころ、夏休みには年間パスで毎日のように豊島園に行きましたが、台湾から「中華雑技団」というすごい出し物が来ていて、これに魅せられました。自分と同じぐらいの歳の台湾の子供たちが、皿をいくつも回したり、椅子をいくつも重ねてその上に逆立ちしたりするのです。「中国人ってすごいんだなー」と思いました。(実はすごくない人もいっぱいいるのにね。)
また、近所にはとても妖しい台湾料理店があって、普通日本人が想像する「中華料理」とはかなり違う珍しい料理が安くておいしいので家族でよく食べに行っていました。そこに、夏休みになると、経営者の親戚の子供が台湾の嘉義から遊びに来がてら、店を手伝っていました。この中に中学1年生(推定)ぐらいの美少女がいて、日本語がほとんどできないのに、白いチャイナドレスを着て店を手伝っていました。この子は子供のくせに金のピアスやネックレス、ヒスイの腕輪などをしていて、日本の同年齢の少女とはかなり違う感じでした。
僕はどうもこの女の子が気になったのを覚えています。台湾では小学校から英語を習うそうで、何か英語の発音が同年齢の日本の子供とはぜんぜん違う感じでした。(当たり前か。)エキゾチックな子供だなと思いましたが、今考えれば、台湾南部の田舎ならどこにでもいそうな感じの少女でしたね。
中学生ぐらいの頃、テレビで中国人が公園で並んで太極拳をやっているのをみてとてもかっこいいと感じてしびれました。そして、沼袋の駅前でカンフー服を着た人が太極拳教室のビラを配っていたので、親や祖母に通わせてくれとせがみましたが、断られました。(あのときに習っておけば、今は太極拳教師として生計が立てられたかもしれません。)
また、自分で高田馬場の中国語教室の「無料体験授業」という看板を見て、門をくぐったことがあります。先生に史上最年少と言われました。そして、家に帰ってから親に中国語を習いたいといったら「そんなの習ってどうすんの、役に立たないよ」と無碍に断られました。(あのころはまだ「中国は共産圏で怖い国」というイメージの人もいたでしょう。少なくとも「自転車と人民服を着たおじさんがいっぱいの後れた国」でした。まさか今のようなことになるとは思っていませんでしたからねえ。)
自分と中国語との出会いは今度また改めて書きたいと思いますが、ここでひとつだけ書いておきたいことがあります。中1のとき、地理の先生は大学の第二外国語で中国語を取ったそうで、あるとき授業中にふざけてどこかに書いてあった漢字を中国語読みで発音しました。クラス中はそれを冗談だと思って大うけして笑ったのですが(中国語など聴きなれていないその頃の日本の子供には、中国は可笑しく聞こえたのでしょう)、僕はそのサウンドを聞いて、背筋がゾクッとするほどしびれたのです。絶対中国語がしゃべれるようになりたい、と思いました。
その後、「就学生計画」で日本に爆発的に中国人が増え、高校時代のバイト先(中華料理店)も中国人だらけだったので、自分でNHKラジオ講座の本で勉強した中国語は結構すぐ使い物になるようになったのです。また、教会でも中国語のミサが始まったのですぐにこれに参加しましたし、残留孤児の子孫の帰国者などと池袋をぶらついたりしました。
ただ、テレサ・テンさんの歌や台湾映画などで、台湾の中国語が美しいと思いましたし、どうせ勉強するなら毛沢東が作らせた簡体字より、中華伝統文化の美が詰まった正体字(繁体字)で学びたいと思いましたので、もし将来留学するなら台湾に行きたいと漠然と思っていました。
高校卒業後は英国の大学に留学したのですが、そこには英連邦のメンバーであるマレーシア、シンガポール、ブルネイ、香港、モーリシャスなどから留学生がものすごくたくさん来ていて、その多くが中華系です。特に前三者の学生達の間では華語が共通語で、僕もそのおかげで3年間毎日のように中国語を使い、中華世界と接点を持った生活をすることになりました。卒業後は直接ここ台湾に来て、そのまま定住して今に至っているわけです。(実は台湾だけは、その独特な歴史的背景から、ほかの中華圏の場所とはかなり違う場所なのです。それについてはまた今度、機会があったら書きましょう。)
人間のアイデンティティは流動的で、しかも純粋なものではありえないというのはいまや定説ですが、僕は人格が形成される重要な時期を上記のように過ごしてきましたので、血統・生まれ・法律上などの面では日本人でも、価値観・生活習慣などの面で華人のほうに親近感を感じてしまうことのほうが多いのも自然なことなのでしょう。その意味では、日本と中華世界の「あいのこ」のような独特な場所であるこの台湾以上に、僕にとって居心地がいいところはありえないのかもしれません。

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