Tuesday, August 31, 2010

「中京標準語圏」の形成?


僕は方言が大好きです。そして名古屋も大好きです。(特に食べ物。)名古屋以外の中京圏はあまり行ったことがありませんが、機会があればぜひ行きたいと思っています。中京圏の方、これを読んでも気を悪くなさらないでくださいね。
中国のネットを見たら、「名古屋弁を学びたいけど、今の名古屋では『標準語』しか使ってないのか?」という質問がありました。確かに、名古屋に行くと若い人からは準東京式共通語(私は「標準語」ではなく、共通語というべきだと思っています、そして日本にはいくつか共通語があります)ばかり聞こえてくるような気がしますね。
しかし、それは名古屋の特徴を持った、名古屋式の共通語であることに気がつきます。その中でもよく知られているのが、「みえる」ですね。東京式共通語では、「いる」と「来る」という、意味が全然違う2つの動詞を丁寧にすると、両方「いらっしゃる」になってしまい、紛らわしいことこの上ないのですが、名古屋では逆に、「いる」と「来る」の2つともが「みえる」になります。東京では、「来る」という意味のときに限り「みえる」を使います。それで、次のような名古屋の特色をもった「標準語」のセンテンスが生まれます:
例:
あの方は何をしてみえる方ですか?(名古屋人)
(東京風:あの方は何をしていらっしゃる方ですか?)
これを全国的に使われている「標準語」だと思っている名古屋人が大変多い、という話を大変よく聞くのですが、どうなんでしょうか。個人の経験では、若い頃、名古屋出身の友人にこれを質問したら、露骨にいやな顔をされましたので、それ以来、面と向かってたずねる勇気がないですが、社会言語学的な好奇心から、とても知りたいのです。どちらにせよ、意味が通じないということはないし、それでいて名古屋のアイデンティティの特徴も出ているので、とてもすばらしいと思うのですが・・・
ネット上で、この「みえる」のルーツはもともとの伝統的名古屋弁から来たものだという話を読んだのですが、名古屋弁はよく知らないので、説明できません。何かご存知の方が「みえたら」教えてください!
さて、もうひとつ気づいたのは、名古屋で形成されたこの「名古屋標準語」が、人的交流によって、これまで名古屋弁は使っていなかった中京圏各地にも広がりつつあるかもしれないということです。たとえば、三重県や岐阜県にご在住の方々からも、「みえる」センテンスをお聞きすることが頻繁にあります。名古屋弁圏ではなくて、「中京共通語圏」が形成されつつあるのかもしれませんね。
以前は大阪弁は使われていなかった、神戸、京都、四国全域、三重県西部、中国地方東部などの大変広い地域で、若者達を中心に、大阪弁をベースとした「近畿共通語」が確立されていると聞きますから、中京共通語の発展も自然な現象なのかもしれません。ただし、近畿共通語の話者は、自分が話しているのは東京式共通語とは異質のものだと意識しているわけですが、中京共通語の場合は、アクセントが東京型であるなど、東京式共通語との共通点が多すぎて、自分が話しているのが中京圏の特徴のある共通語であるということを意識していないということなのかもしれません。
願わくば、全部が全部中京共通語化してして、地元の言葉が消滅してしまうという事態は回避され、中京圏各地の方々も四国南部の若者たちのように、地元の伝統的方言と地域共通語を使い分けられるバイリンガルとなってほしいものです。

Monday, June 14, 2010

超爆笑英語教室。(白目です)

ごめんなさい、最近 too many articles in Japanese. 因為 internet connection here is not stable, so I have to upload all the articles I have acculumated during the short span of time when I have connections.
グーグルサイト用の記事なので、英語のものが多くなるかも知れませんが、気にしないでくださいね。コメは日本語でいいですよ、コメ返しも日本語でします。
如果是打正體中文,ブラウザはIEを使用の場合は,比較不會出現亂碼。
Here is the comic... Actually, very few people use this expression nowadays, so it's not very practical. But, 不妨知道一下吧。がははは。

(You can click the image to enlarge the comic.)

Sunday, June 13, 2010

バイリンガルの海。


マニラのショッピングモールは人の海です。
メトロマニラの人口だけで、台湾全島の人口と同じぐらいという説があります。(地方からの流動人口が多いからです。)
その中にたたずんでいると、英語とタガログ語という2言語がごちゃ混ぜになって聞こえてくるのがわかるでしょう。
実際、400以上の言語が話されているフィリピンの、各地方出身者が多く集まるマニラで、共通語的な役割を果たしているのは、英語とタガログ語がごちゃ混ぜになった、「タグリッシュ」という言語です。
すべてにおいて民主的なフィリピンでは、東南アジアのどこかの国と違って、このごちゃ混ぜ言語は政府のお偉いさん方ににらまれるどころか、政治家でさえテレビの演説にも使うし、ATMでキャッシュをおろそうとすると、「英語にしますか、タグリッシュにしますか?」と画面で聞かれるほど市民権を得ているのです。
学校の教育や新聞、公文書などは全部英語ですから、ちゃんとした英語を使おうと思えば使えないことはないですけど、なんかお固くとまっている感じに思われます。タグリッシュなら、英語なのに親しみもわいて、一石二鳥というわけです。
フィリピンで人口は少数なのに絶大な影響力を持つ富裕層は、思考回路まで英語になっていて、タガログ語、特に読み書きは不自由を感じるほどです。一方、人口の大多数を占める貧困層は、一応用は足せるぐらいの英語はできても、自信がないため、タグリッシュやタガログ語を多用することが多く、外国人が英語で話しかければ緊張で硬直してしまうこともしばしばですが、逆に少しでもこちらがタガログ語で話せば、急に手のひらを返したようにフレンドリーな態度になるでしょう。(たとえば、今朝、ジョリビーで朝食を食べたときのことです。私:「Don’t I have a free newspaper?
店員、無愛想な顔で:「Free newspaper is for orders exceeding 100 pesos, sir.
そこで私が、外国人とわかるように、わざと下手なタガログ語で:「Di ba, meron libreng dyaryo?
そうしたら、店員はあふれるような笑顔で、69ペソ分しかオーダーしていない私にすぐ無料の新聞をサービスしてくれました。読み書きのほうはまだ英語が主流なので、配っている新聞はもちろん英語のみです。)
じゃあ、なぜいっそのこと英語はやめて全部タガログ語にしないのか。それは、無理だからです。
タガログ語は、フィリピンに何百とある土着の言語のうちのひとつで、マレーシアのバハサ・マレーシアやインドネシアのバハサ・インドネシアなんかと違って、公用語として整備されたわけじゃないですから、いろんな単語が存在しないんです。
哲学講義から下ネタまで、すべて日本語で済んでしまう日本人には想像しにくいかもしれませんが、「おばあちゃんが今朝へをこいた」とかいう卑近な話題は土着な言語で表現できても、電気工学の話題は、必要な単語が存在しないのでその言語ではできない、というのは世界では当たり前のことです。
さて、フィリピンの公用語は英語で、国語はフィリピノ語ということになっていますが、このフィリピノ語というのは何なのか?
憲法によれば、「フィリピンの人々の知恵によって、やがて自然に出現するであろう、フィリピン各地の言語の総合の言語」のようなものらしいです。
現在はそんなものはないので、一応首都の土着言語として一番普及しているタガログ語にものすごく似たものになってます。というか、ほとんど同じです。まあ、テレビ局とかが全部マニラにあるので、将来そういう言語が出現するとしたら、タグリッシュ・ベースのものになる可能性が高いでしょう。実際、海外に出た、きちんと英語教育を受けなかった、出身地が違うフィリピン人同士がはなさなきゃならないときは片言のタガログ語を使うみたいです。
ただ、タガログ語以外の土着言語が母語の人(たとえばビサヤ語圏)からは反感があって、そういう人たちはやっぱり英語のほうがいいみたいです。実際、勉強しようとしたら、英語のほうがタガログ語よりは簡単です。どっちにしろ、フィリピン人は学校に行ったら英語は勉強させられるんだし。
そんなところにも、民主的なフィリピンの性格が現れてますね。ほかの東南アジアの国、たとえばインドネシア、マレーシア、シンガポールなんかでは、国が国語・公用語を制定して、存在しなかった学術用語なんかも全部新しく作って、それを中央集権的な政府の力で強制的に全国に普及させようとしたわけなんです。(タイやインドネシアみたいに徹底してやるならまだましだけど、マレーシアやシンガポールなんかひどいですね。「やっぱや~めた!」つって政府が言語政策をポンポン変えちゃうんだから。それで、いろんな語ができるけど、全部中途半端にしかできない人がほとんどです。)
そんなやり方はフィリピンじゃ無理でしょうね。違う学者がみんな別の専門用語を発明しちゃって、誰も譲らないでしょう。実際フィリピノ語のときはそうなったらしいです。結局やっぱり英語にしよう、ってことで落ち着いたわけです。
そして、タガログ語でしゃべってて、もしタガログ語の単語が存在しない話になったら、別に英語使っちゃえばいいじゃないか、と。
フィリピンのそういうところ、大好きです。フィリピンの社会言語学が東南アジアのほかの国より20年は進んでいる原因も、その辺にあるかもしれません。

Saturday, May 29, 2010

中華と中国語好き子供。



子供の頃から、中華文化が好きでした。幼稚園ぐらいの頃から、好物はラーメン、餃子とチャーハンで、地球儀で中国を見ては「いつかここに行くぞ」と漠然と思っていました。上野動物園のカンカンとランランが人気だった頃です。
小学校低学年の頃、習っていたタップダンスの先生が、中国に招聘された漫画家か書いた本をくれました。これに夢中になり、中国はパンダがいるとか、漢字を使うとか、万里の長城があるとか、手品や体操が有名だとか知るようになりました。
身の回りの中国人といえば、あまり意識しなかったですが、ホームラン王の王貞治選手はすごいと思いました。(前に記事を書きましたが、後に台湾でゆっくりお話を伺えて嬉しかったです。)
また、近所には「中国物産店」という、華僑のおじさん(弟と一緒に、勝手に「ちんさん」という名前をつけていました)がやっている妖しい匂いのするお店があって、中国や台湾、東南アジアなどの製品を取り扱っていました。弟と二人でこの店に入り浸って、お小遣いで中国製のノートや鉛筆を買って学校で使ったり、中華圏を代表する台湾の歌手テレサ・テンのテープを買って聞いたりしました。(このお店のおかげで、僕の華僑に対するステレオタイプはニヤニヤしたおじさん、というイメージです。)
小学生のころ、夏休みには年間パスで毎日のように豊島園に行きましたが、台湾から「中華雑技団」というすごい出し物が来ていて、これに魅せられました。自分と同じぐらいの歳の台湾の子供たちが、皿をいくつも回したり、椅子をいくつも重ねてその上に逆立ちしたりするのです。「中国人ってすごいんだなー」と思いました。(実はすごくない人もいっぱいいるのにね。)
また、近所にはとても妖しい台湾料理店があって、普通日本人が想像する「中華料理」とはかなり違う珍しい料理が安くておいしいので家族でよく食べに行っていました。そこに、夏休みになると、経営者の親戚の子供が台湾の嘉義から遊びに来がてら、店を手伝っていました。この中に中学1年生(推定)ぐらいの美少女がいて、日本語がほとんどできないのに、白いチャイナドレスを着て店を手伝っていました。この子は子供のくせに金のピアスやネックレス、ヒスイの腕輪などをしていて、日本の同年齢の少女とはかなり違う感じでした。
僕はどうもこの女の子が気になったのを覚えています。台湾では小学校から英語を習うそうで、何か英語の発音が同年齢の日本の子供とはぜんぜん違う感じでした。(当たり前か。)エキゾチックな子供だなと思いましたが、今考えれば、台湾南部の田舎ならどこにでもいそうな感じの少女でしたね。
中学生ぐらいの頃、テレビで中国人が公園で並んで太極拳をやっているのをみてとてもかっこいいと感じてしびれました。そして、沼袋の駅前でカンフー服を着た人が太極拳教室のビラを配っていたので、親や祖母に通わせてくれとせがみましたが、断られました。(あのときに習っておけば、今は太極拳教師として生計が立てられたかもしれません。)
また、自分で高田馬場の中国語教室の「無料体験授業」という看板を見て、門をくぐったことがあります。先生に史上最年少と言われました。そして、家に帰ってから親に中国語を習いたいといったら「そんなの習ってどうすんの、役に立たないよ」と無碍に断られました。(あのころはまだ「中国は共産圏で怖い国」というイメージの人もいたでしょう。少なくとも「自転車と人民服を着たおじさんがいっぱいの後れた国」でした。まさか今のようなことになるとは思っていませんでしたからねえ。)
自分と中国語との出会いは今度また改めて書きたいと思いますが、ここでひとつだけ書いておきたいことがあります。中1のとき、地理の先生は大学の第二外国語で中国語を取ったそうで、あるとき授業中にふざけてどこかに書いてあった漢字を中国語読みで発音しました。クラス中はそれを冗談だと思って大うけして笑ったのですが(中国語など聴きなれていないその頃の日本の子供には、中国は可笑しく聞こえたのでしょう)、僕はそのサウンドを聞いて、背筋がゾクッとするほどしびれたのです。絶対中国語がしゃべれるようになりたい、と思いました。
その後、「就学生計画」で日本に爆発的に中国人が増え、高校時代のバイト先(中華料理店)も中国人だらけだったので、自分でNHKラジオ講座の本で勉強した中国語は結構すぐ使い物になるようになったのです。また、教会でも中国語のミサが始まったのですぐにこれに参加しましたし、残留孤児の子孫の帰国者などと池袋をぶらついたりしました。
ただ、テレサ・テンさんの歌や台湾映画などで、台湾の中国語が美しいと思いましたし、どうせ勉強するなら毛沢東が作らせた簡体字より、中華伝統文化の美が詰まった正体字(繁体字)で学びたいと思いましたので、もし将来留学するなら台湾に行きたいと漠然と思っていました。
高校卒業後は英国の大学に留学したのですが、そこには英連邦のメンバーであるマレーシア、シンガポール、ブルネイ、香港、モーリシャスなどから留学生がものすごくたくさん来ていて、その多くが中華系です。特に前三者の学生達の間では華語が共通語で、僕もそのおかげで3年間毎日のように中国語を使い、中華世界と接点を持った生活をすることになりました。卒業後は直接ここ台湾に来て、そのまま定住して今に至っているわけです。(実は台湾だけは、その独特な歴史的背景から、ほかの中華圏の場所とはかなり違う場所なのです。それについてはまた今度、機会があったら書きましょう。)
人間のアイデンティティは流動的で、しかも純粋なものではありえないというのはいまや定説ですが、僕は人格が形成される重要な時期を上記のように過ごしてきましたので、血統・生まれ・法律上などの面では日本人でも、価値観・生活習慣などの面で華人のほうに親近感を感じてしまうことのほうが多いのも自然なことなのでしょう。その意味では、日本と中華世界の「あいのこ」のような独特な場所であるこの台湾以上に、僕にとって居心地がいいところはありえないのかもしれません。

Thursday, May 20, 2010

大阪弁はせちがらい!?

人々はある言葉を話す人々に対してステレオタイプを持っています。
それは、人々が持っている単なる偏見で、言葉そのものの本質とはあまり関係がないものです。
テレビ、特にお笑いやアニメなどを見ていると、人々がどのような言葉にどのようなステレオタイプを持っているかがわかって面白いです。
たとえば関西弁を話すキャラクターは趣味が派手だとか、お金にせちがらいとか、コミカルな性格が多いといわれています。
東北弁を話すキャラクターは、逆に素朴で情が厚いとか、広島弁は顔が怖いとか、鹿児島弁は剛毛とか、高知弁はスケバンとか、全部ステレオタイプです。
テレビを通してしか接したことのない方言に対するステレオタイプは、完全にテレビの影響で作られてしまうこともありえます。
たとえば、私は台湾のテレビで宮崎あおいさんと福士誠治さんが主演のドラマ「純情きらり」を見るまで、三河弁というのに接したことがありませんでした。
おかげで、私は三河弁というのは輝いている若い男女や、美しい姉妹が話している言葉かと思ってしまいましたが、インターネットで検索してみると、当の三河弁話者は、結構男性的で粗野な言葉だと考えている人が多そうです。
また、もうひとつの特徴は、自分の方言は「透明」に見えるというか、特定のステレオタイプが強く現れないことが多いということです。これは、英国など海外の研究でもわかっています。
私は東京弁の話者で、東京弁というのは本当に特徴がなくてつまらないなあ、と思っていましたが、インターネットを見ると、「男性が東京弁をしゃべっているのを聞くとオカマっぽくてキモい」と言っている他地方の人がいて、びっくりしました。(東京弁は関東や東海各地の「田舎者」の方言が混ざったものですので、強いて言えば「男性的」で粗野に聞こえるのかな、と自分では思っていましたから。)
また、ユーチューブに日本語の達者なオレゴン在住のアメリカ人がいますけれども、彼は各地の訛りの物まねが上手ですが、「自分が住んでいるオレゴンは一番なまりがなくてつまらない」と言っていました。しかし、他所に住んでいる者に言わせると、北カリフォルニア、オレゴン、ワシントン州なんかの発音は特徴的ですぐわかりますよね。もうcotcaughtdondawnの母音はほとんど同じになっちゃってます。
さて、各国語を話す人間に対するステレオタイプというのもあります。これもほとんど根拠がないです。欧州特に英仏では、戦争とかの関係でドイツに対する印象が悪いので、「ドイツ語は耳障りな言語だ」という人が多いらしいですが、そういう人にウインナーソーセージをつまみにおいしいビールを飲ませ、ヨハン・シュトラウスのワルツをバックグランドにゲーテの朗読を聞かせると、「ドイツ語っていいなあ」と言って態度が豹変するそうです。
逆に、同じ国で「イタリア語は音楽的ですばらしい言語だ」と言う人が多いそうですが、そういう人をナポリのスラム街に連れて行って、マフィアに誘拐されて頭にスキー帽をすっぽり被された状態でフィアットのオンボロ車のトランクに詰め込み、中世に作られた教会の前のでこぼこの石畳を走らせたら、イタリア語に対してまた違った印象を持つかもしれません。
以下は、まったく根拠のない、言語の本質とは無関係な、またその言語話者の国民性とも無関係な、単なる私の個人的な偏見です。そこから何が見えてくるかが興味深いかもしれないので、面白がって書いておきましょう。もしどなたかの気に触りましたらご容赦ください。
中国語:せっかちな人
フランス語:洗練された人
イタリア語:言動が大げさな人
ロシア語:酔っ払った人
ポーランド語:理屈っぽい人
スペイン語:喜怒哀楽が激しい人
ポルトガルのポルトガル語:感情を押し殺した人
インドネシア語:のんびりした人
タガログ語:気取った人

Friday, May 7, 2010

このあたりで話されている台湾語。

台湾語(台湾閩南語)に関する記事になるので、苦手な方はスルーしちゃってください。

私の奥さんの家族は台北市の後港墘の地元民です。このあたりの人は、みんな祖先が福建省の同安から来た人たちです。彼らの話す台湾語は、同安訛りの台湾語です。

台湾全国に同安人はいると思いますが、いまだに同安訛りの台湾語を話しているのは、淡水、蘆洲、台北市の後港墘、社子などに代々住んでいる人ぐらいでしょう。

台湾の閩南語は、大きく分けて「台湾普通訛り」と「泉州訛り」の2種類があって、台湾の教育部は最近、小学生に教える教材は前者を使うべきだ、と決めました。台湾のテレビで聞こえてくる「台語」はほとんどがこれです。どちらかというと高雄や屏東、台東の訛りに近いです。広い範囲で、ほとんど話し方が同じです。今の普通の台湾人が「標準的な台湾語だなあ」と感じるのがこれでしょう。

後者は内部にいろいろ種類が分かれていて、日本で売っている台湾語の教科書は、ほとんどこの中の「台北訛り」を使っています。台北訛りは、中国福建省アモイ市の閩南語とほとんどまったく同じです。キリスト教の牧師が、聖書を閩南語に訳したり辞書を作るときに使ったのがアモイ訛りです。昔の外国人はほとんどこの聖書を使って台湾語を勉強したので、日本の教科書も台北訛りなのでしょう。

ちなみに、現代の、専門家でない一般の台湾人はこういうことをあまり詳しく知らないので、台湾普通訛り以外の台湾語、つまり聞きなれない訛りを聞くと、すぐ「宜蘭訛り」だとか「鹿港訛り」だとかでたらめを言いますが、真に受けないでください。参考のために言っておくと、台湾で一番漳州の特徴を保持しているのが宜蘭訛りで、一番泉州の特徴を保持しているのが鹿港訛りです。


ではここで、私が住んでいる台北市後港墘の台湾語(同安訛り)が、台湾普通訛りと違うところを記しておきましょう。


同安訛りは泉州系なので、泉州系の特徴は一応全部備えています。たとえば「あなたはどこへ行きますか?」は、台湾普通なまりでは

「りべきとー?」ですが、

同安訛りでは

「るべくとー?」

になります。同じ原理で、豚も、お箸も、「てぃー」ではなく「とぅー」になります。


鶏は「けー」ではなくて「こえ」

火は「ほえ」ではなくて「へー」

本は「つぇー」ではなくて「つう」です。

数字の2は「じー」や「ぎー」ではなく、「りー」です。


次は、同安訛り独特の発音です。

普通、台湾語では、普通訛りでも、泉州訛りでも、「高い」とか、「県」というときは「こあん」といいますが、同安訛りでは「こぁぃん~」と鼻にかけていいます。すごく変でしょう。

だから、「台北県」は「たいぱっこぁぃん~」です。こんな言い方をする台湾人がいたら、間違いなく同安人です。


あとは、借りたものを「返す」というのを、普通台湾人は「ひん」とか「へん」というのですが、同安訛りなら、これを「はぃん~」と、これまた鼻にかけて言います。

「あんたに借りた本、返すね。」は、台湾普通訛りなら

「ごあかりちおえつぇ、ひんり。」ですが、

これを同安訛りで言うとどうなるんでしょうか?

「ごあかるちおえつう、はぃん~る。」

これが言えれば、あなたも今日から「在地人」!

Thursday, April 29, 2010

台湾のメンマとたくあん。

Posted by Picasa

メンマやタケノコは台湾の名物ですから、台湾の家庭ではよく食べます。スープ麺に入れるのはもっぱら油漬けにしたタケノコの水煮より、普通のタケノコの細切りが多いです。逆に、日本で典型的なラーメンに入っているいわゆるメンマというやつは、逆にご飯と一緒に食べることが多いのです。

画像は日本にも支店があった有名なチェーン店、「鬍鬚張」の魯肉飯と豚足、貢丸湯のセットです。屋台にはセットはないですが、このようなオーダーの仕方は典型的なものです。逆にデパートのフードコートや高速道路のサービスエリアなどでは、このようなセットが普通です。

魯肉飯と控肉飯は共に豚肉の醤油煮込みご飯で、違いは前者は肉がひき肉になっていて、後者は角煮のように塊りのままだということです。

漢字は、それぞれ台湾語の「ろーばーぷん」と「こんばーぷん」の当て字なので、どんな漢字を使うかは店によってばらつきがありますが、内容は大体同じです。

普通は何も言わなくてもメンマとたくあんがついてきます。味は両方とも日本のものとほとんど同じで、たくあんは台湾語(台湾閩南語)でも「たーくーあん」といいます。

北京語(台湾華語)では、色が黄色く、漬物全体を「醬瓜」というので、たくあんのことを「黃瓜」という人が多いですが、これは正確には野菜のきゅうりのことなので、あまり正確ではありません。たくあんはもちろん、きゅうりじゃなくて大根ですよね。(中華系人はあまり正確な呼び名にこだわらない性格の人が多いようです。)

Wednesday, February 10, 2010

ニュース。今の中国に「純粋な漢族」など存在しない!DNA検査で明らかに―中国紙

こんなニュースがありました。

確かに、「漢族」という概念は血統的なものより文化的なものだと思います。

台湾人のうち7割以上は、文化的には自分を漢人だと思っていても、血統的には台湾原住民など東南アジア系の血が強いことが、マッカイ記念病院の学者の研究でわかっています。

漢人の同化された原住民―つまり平埔族の間では、自分たちが漢人なのか、原住民なのか、論争があります。私が屏東県のある平埔族の村に行ったとき、村の同じ家族同士でも、この論争のために対立しているのを目撃しました。

しかし、彼らも高雄などの大都会に出て行けば、何の変哲もない平均的な閩南系台湾人として扱われるのでしょう。

さて、台湾閩南人の原郷―中国福建省の閩南地域は、「閩」という字が示すように、蛇を先祖として祀る典型的な東南アジア系民族の居住地だったそうです。そこに、少数の漢文化を持った人たちが移住して、やがて多くの現地人が文化的に漢人化したそうです。

かねてから、台湾の漢人の中で東南アジア系の顔立ちの人が多いのは、マレー系の台湾原住民と混血したか、彼らが文化的にだけ漢人化したせいかと思っていました。道理で、中国の閩南人も東南アジア系の顔立ちが多いわけです。

その人たちが台湾に移住して、さらにマレー系と混血したんだから、余計東南アジアっぽいわけですよね。

私の妻の親戚や友達には極端に東南アジア系が強そうな顔立ちの人がいますが、家に先祖の仏壇もあるし墓にも中国の地名が書いてあります。そして、先祖のふるさとは広東省の潮州だといいます。普通、台湾人でそこが祖籍の人は客家人です。しかし、彼らは文化的には普通の閩南人の習慣を守っているのです。客家人がこのあたりに入植したという記録もありません。

その昔、台湾原住民で文化的に漢人の同化することにした人たち(今で言う平埔族)は、自分が周りのもっと漢人化が速かった人たちとちょっと違うことを正当化し、漢人として認めてもらうために、族譜を捏造して、適当に周りの人たちの祖籍地と少し違う場所を祖籍ということにしたらしいです。(潮州人ということにしておけば、自分のちょっと訛った閩南語も、「潮州語だ」といってごまかせますしね。)

そんなわけで、台湾にあまり来たはずのない広東省の地名を祖籍とするのに、現在文化的には閩南人として分類されている人たちがいるわけなんですね。

やっぱり、漢人にとって重要なのは血統よりも文化なんです。


今の中国に「純粋な漢族」など存在しない!DNA検査で明らかに―中国紙

2月8日15時7分配信 Record China
今の中国に「純粋な漢族」など存在しない!DNA検査で明らかに―中国紙
拡大写真
6日、DNA検査の結果、中国には「純粋な漢族」は存在しないことが判明したと中国紙が報じた。写真は03年9月、北京周口店にある北京原人遺跡博物館で初めて公開された北京原人の頭がい骨。
2010年2月6日、中国紙・重慶晩報は、DNA検査の結果、中国には「純粋な漢族」は存在しないことが判明したと報じた。

蘭州大学生命科学学院の謝小東(シエ・シャオドン)副教授が行った中国西北地区に住む少数民族のDNA研究で明らかになった。漢族とは古くから河南省を中心とした「中原(ちゅうげん)」に住む人とされており、これまでこの地域に住む人々は比較的純粋な漢族だと考えられてきたが、謝副教授の研究結果はこの説を覆すものとなった。

【その他の写真】

謝副教授によると、現在の陝西省西安市に都を置いた西周(紀元前1100年頃~紀元前771年)は漢族の王朝に間違いないが、春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)になると、同じ陝西省の秦王朝は「戎(じゅう)」と呼ばれ、野蛮な異民族として扱われた。そのため、漢族とは特定の定義を持たず、周辺地域と区別するために作られた概念に過ぎないと謝副教授は説明した。

中原に住んでいた漢族は兵役や戦乱により、どんどん南下していった。時代の移り変わりとともに中国各地へと散らばり、やがて周辺民族や周辺国の人々と融合。純粋な漢族は、こうして徐々に消滅していった。現在、古代の漢族に最も近い文化を継承しているのは、少数民族の「客家(はっか)」だという。(翻訳・編集/NN)