Showing posts with label Japanese language. Show all posts
Showing posts with label Japanese language. Show all posts
Wednesday, April 11, 2012
Taiwan Japanese: Japanese as a lingua franca
台湾人にとって、日本語はとても身近な言語。
日本時代に教育を受けた台湾人は、いまだに日本語を使っている。たとえば、台湾の日本語書店では、日本人だけでなく、中国語が不自由な年配の台湾人をよく見かける。
また、国民政府が台湾に来て華語が普及するまで、異なった母語を持つ台湾人同士の会話は日本語が使われていた。一部の台湾原住民の間では、いまだに日本語が共通語として機能している。
元はといえば日本(主に九州)からもたらされた台湾の日本語だが、後に台湾人同士の交流に適すように発展したので、日本国内とはちょっと違った日本語が行われている。日本人の目から見て珍妙な日本語でも、台湾人同士の交流にはまったく差支えがないし、自然なのである。これに、「日本人はこんな言い方しない、日本語としておかしい」などとけちをつけるの権利は、日本人にはまったくない。この状況は、アジアにおける英語やアフリカにおけるフランス語に似ている。
ここ数年で中国との交流が盛んになったが、それまでは日本が台湾にとって最大の交流相手だったので、台北の街角でも日本語の看板やメニューをよく見かける。これらは、主に日本人観光客を想定している。
ただし、これらは日本人相手とは言っても、日本語が達者な台湾の年配者に訳させていることが多いため、台湾式日本語である。日本人にとっては、意味はなんとなくわかるけど、かなり古風で妙な感じがすることが多い。しかし、せっかく日本語で書いてくれたんだから、感謝すべきである。
また、日本における英語やフランス語と同じように、外国人の便宜のためというより、ただ「かっこよく」見せるために、ナンセンスな日本語が書いてあって、日本人が見たらてんでんおかしいということはよくある。この場合、日本語であることを強調するために、日本人なら普通漢字で書くものを、わざわざひらがなで書いてあることが多い。僕のスリッパには「すソつぱ つよい にほんせい」と書いてあるし、近所を走っている、中国語で「故宮博物院」と書かれたバスは「こきゅうはくぶついん」とわざわざひらがなの看板も掲げている。(これは、日本人観光客のためというより、市バスが国際化に取り組んでいるということを台北市民にアピールする目的だろう。日本人なら、幼稚園児でもない限り、故宮博物院という漢字はよめるだろうから。)また、僕は時々友人がやっている創作日本料理店のメニューを日本語に訳すことがあるが、日本人にとって自然な日本語に訳すと、「あまり漢字を使わないでくれ、日本語に見えないから」と文句をいわれることがよくある。
どちらにせよ、日本人に見せるために書いているのではないのだから、目くじらを立てる必要はまったくない。むしろ、日本語をよりカラフルで豊かな国際言語にしてくれていることに、感謝すべきなのである。
Thursday, April 5, 2012
幼少時に母が作った、
お昼に、うちの近所の「香港鑫記」(以前、何度か紹介しました)で食べたチャーシュー飯です。
チャーシューは、店によって当たりはずれが大きいです。しょっぱすぎ、甘すぎ、乾きすぎ、色がどぎつすぎ、などが失敗の主な原因です。ここのはちょうどいいです。
チャーシュー飯といえば、こんな思い出があります。
子供のころ、おばあちゃんのうちで大好きな香港映画のビデオを見ていたら(たぶん、ミスター・ブーのシリーズの一作かもしれません)、大快楽のようなファーストフード店でチャーシュー飯を食べているシーンが出てきました。
とてもおいしそうなので、母に作ってくれといいました。
そうしたら、母は家で豚肉を紐で縛ってオーブンで焼き、甘いしょうゆの香ばしいたれをご飯にいっぱいかけて、おいしいチャーシュー飯を作ってくれました。
それ以来、チャーシュー飯が好物ですよ。
出国する前は、当時の日本の中華料理店には普通チャーシュー飯というものがなかったので、横浜の中華街などへ食べに行ったりしましたが、英国に行ってから今までは、チャーシュー飯が手軽に食べられる環境なので幸せです。
本場の香港で食べたときも、おいしくて感動しました。
Tuesday, August 31, 2010
「中京標準語圏」の形成?

僕は方言が大好きです。そして名古屋も大好きです。(特に食べ物。)名古屋以外の中京圏はあまり行ったことがありませんが、機会があればぜひ行きたいと思っています。中京圏の方、これを読んでも気を悪くなさらないでくださいね。
中国のネットを見たら、「名古屋弁を学びたいけど、今の名古屋では『標準語』しか使ってないのか?」という質問がありました。確かに、名古屋に行くと若い人からは準東京式共通語(私は「標準語」ではなく、共通語というべきだと思っています、そして日本にはいくつか共通語があります)ばかり聞こえてくるような気がしますね。
しかし、それは名古屋の特徴を持った、名古屋式の共通語であることに気がつきます。その中でもよく知られているのが、「みえる」ですね。東京式共通語では、「いる」と「来る」という、意味が全然違う2つの動詞を丁寧にすると、両方「いらっしゃる」になってしまい、紛らわしいことこの上ないのですが、名古屋では逆に、「いる」と「来る」の2つともが「みえる」になります。東京では、「来る」という意味のときに限り「みえる」を使います。それで、次のような名古屋の特色をもった「標準語」のセンテンスが生まれます:
例:
あの方は何をしてみえる方ですか?(名古屋人)
(東京風:あの方は何をしていらっしゃる方ですか?)
これを全国的に使われている「標準語」だと思っている名古屋人が大変多い、という話を大変よく聞くのですが、どうなんでしょうか。個人の経験では、若い頃、名古屋出身の友人にこれを質問したら、露骨にいやな顔をされましたので、それ以来、面と向かってたずねる勇気がないですが、社会言語学的な好奇心から、とても知りたいのです。どちらにせよ、意味が通じないということはないし、それでいて名古屋のアイデンティティの特徴も出ているので、とてもすばらしいと思うのですが・・・
ネット上で、この「みえる」のルーツはもともとの伝統的名古屋弁から来たものだという話を読んだのですが、名古屋弁はよく知らないので、説明できません。何かご存知の方が「みえたら」教えてください!
さて、もうひとつ気づいたのは、名古屋で形成されたこの「名古屋標準語」が、人的交流によって、これまで名古屋弁は使っていなかった中京圏各地にも広がりつつあるかもしれないということです。たとえば、三重県や岐阜県にご在住の方々からも、「みえる」センテンスをお聞きすることが頻繁にあります。名古屋弁圏ではなくて、「中京共通語圏」が形成されつつあるのかもしれませんね。
以前は大阪弁は使われていなかった、神戸、京都、四国全域、三重県西部、中国地方東部などの大変広い地域で、若者達を中心に、大阪弁をベースとした「近畿共通語」が確立されていると聞きますから、中京共通語の発展も自然な現象なのかもしれません。ただし、近畿共通語の話者は、自分が話しているのは東京式共通語とは異質のものだと意識しているわけですが、中京共通語の場合は、アクセントが東京型であるなど、東京式共通語との共通点が多すぎて、自分が話しているのが中京圏の特徴のある共通語であるということを意識していないということなのかもしれません。
願わくば、全部が全部中京共通語化してして、地元の言葉が消滅してしまうという事態は回避され、中京圏各地の方々も四国南部の若者たちのように、地元の伝統的方言と地域共通語を使い分けられるバイリンガルとなってほしいものです。
Thursday, May 20, 2010
大阪弁はせちがらい!?
人々はある言葉を話す人々に対してステレオタイプを持っています。
それは、人々が持っている単なる偏見で、言葉そのものの本質とはあまり関係がないものです。
テレビ、特にお笑いやアニメなどを見ていると、人々がどのような言葉にどのようなステレオタイプを持っているかがわかって面白いです。
たとえば関西弁を話すキャラクターは趣味が派手だとか、お金にせちがらいとか、コミカルな性格が多いといわれています。
東北弁を話すキャラクターは、逆に素朴で情が厚いとか、広島弁は顔が怖いとか、鹿児島弁は剛毛とか、高知弁はスケバンとか、全部ステレオタイプです。
テレビを通してしか接したことのない方言に対するステレオタイプは、完全にテレビの影響で作られてしまうこともありえます。
たとえば、私は台湾のテレビで宮崎あおいさんと福士誠治さんが主演のドラマ「純情きらり」を見るまで、三河弁というのに接したことがありませんでした。
おかげで、私は三河弁というのは輝いている若い男女や、美しい姉妹が話している言葉かと思ってしまいましたが、インターネットで検索してみると、当の三河弁話者は、結構男性的で粗野な言葉だと考えている人が多そうです。
また、もうひとつの特徴は、自分の方言は「透明」に見えるというか、特定のステレオタイプが強く現れないことが多いということです。これは、英国など海外の研究でもわかっています。
私は東京弁の話者で、東京弁というのは本当に特徴がなくてつまらないなあ、と思っていましたが、インターネットを見ると、「男性が東京弁をしゃべっているのを聞くとオカマっぽくてキモい」と言っている他地方の人がいて、びっくりしました。(東京弁は関東や東海各地の「田舎者」の方言が混ざったものですので、強いて言えば「男性的」で粗野に聞こえるのかな、と自分では思っていましたから。)
また、ユーチューブに日本語の達者なオレゴン在住のアメリカ人がいますけれども、彼は各地の訛りの物まねが上手ですが、「自分が住んでいるオレゴンは一番なまりがなくてつまらない」と言っていました。しかし、他所に住んでいる者に言わせると、北カリフォルニア、オレゴン、ワシントン州なんかの発音は特徴的ですぐわかりますよね。もうcotとcaughtやdonとdawnの母音はほとんど同じになっちゃってます。
さて、各国語を話す人間に対するステレオタイプというのもあります。これもほとんど根拠がないです。欧州特に英仏では、戦争とかの関係でドイツに対する印象が悪いので、「ドイツ語は耳障りな言語だ」という人が多いらしいですが、そういう人にウインナーソーセージをつまみにおいしいビールを飲ませ、ヨハン・シュトラウスのワルツをバックグランドにゲーテの朗読を聞かせると、「ドイツ語っていいなあ」と言って態度が豹変するそうです。
逆に、同じ国で「イタリア語は音楽的ですばらしい言語だ」と言う人が多いそうですが、そういう人をナポリのスラム街に連れて行って、マフィアに誘拐されて頭にスキー帽をすっぽり被された状態でフィアットのオンボロ車のトランクに詰め込み、中世に作られた教会の前のでこぼこの石畳を走らせたら、イタリア語に対してまた違った印象を持つかもしれません。
以下は、まったく根拠のない、言語の本質とは無関係な、またその言語話者の国民性とも無関係な、単なる私の個人的な偏見です。そこから何が見えてくるかが興味深いかもしれないので、面白がって書いておきましょう。もしどなたかの気に触りましたらご容赦ください。
中国語:せっかちな人
フランス語:洗練された人
イタリア語:言動が大げさな人
ロシア語:酔っ払った人
ポーランド語:理屈っぽい人
スペイン語:喜怒哀楽が激しい人
ポルトガルのポルトガル語:感情を押し殺した人
インドネシア語:のんびりした人
タガログ語:気取った人
Subscribe to:
Posts (Atom)



